僕がWebシステム開発未経験からWeb系(サービス運営)企業に飛び込んだ話

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はじめに

炭山水です。こんにちは。タイトルは若干釣り気味です。一応汎用機系ちょっとやってたり通信業界で仕事してたりと「エンジニア」と呼ばれる領域に属してたとは思いますので。

今日は「オープン系」「Web系」と呼ばれる技術の業務をやったことが無かった僕が、どんなきっかけでいわゆる「Web系(サービス運営)企業」に入社し、どんなエンジニアライフを過ごしたか、ご紹介できればと思います。

会社の環境と、僕のスペック

会社の環境

  • 1サービスは運営を既にしていた
  • 開発も保守運用も外注していた
  • smartyをベースにしたphp独自フレームワーク(外注会社のもの)
  • いわゆるLAMP環境
  • 自動テストなどはなし(当時まだそれほどメジャーでなかった)
  • 3~4人が飯を食えたり食えなかったり、くらいの規模

僕のスペック

  • アセンブラでの基幹系?システム開発を下っ端で1年ほど
  • 情シスやネットワーク機器の導入試験やってたおかげでルーター設定を読むくらいはできた。ただし設計も構築も経験なし。
  • frameタグ時代にhtmlべた書きHPとか作ってたおかげでffftpつかってhtmlファイルをアップするくらいの知識は無くもなかった。てかインフラ屋の仕事でfilezilla愛用してた。
  • Webサービスというものをやったことがない。GET?POST?何それおいしいの?
  • もちろんphpもrubyも触ったことはない。MVC???
  • VBSやシェル芸でちょっとした使い捨てログ解析プログラムとかは書いたことある
  • 一応計算機科学の学士もち。その流れでCとかpythonの使い捨てプログラムくらいは書いたことある
  • ジャンクPCでsambaサーバとか組んで遊んだことくらいはある

どんな仕事やってたかはこちらで詳しく書いたのでよろしければこちらもご覧ください
僕のエンジニアとしての入り口が”電話番”だった話

転職に至るまで

出会い

僕ね、いわゆる異業種交流会的なものに出まくってた時期があったんです。その時出会った営業マンとソコソコ話が弾みまして。そん時はその人、いわゆる営業会社のバリバリのひとでした。まあ特になにか仕事で絡むわけもなく、そん時はサヨナラ。

それから1年だか2年だか経ちました。時はガラケーソシャゲバブルの衰退期。3,4000万くらいの投資でWebサービス立ち上げれば、競合の中で3位か4位につけた頃です。※もちろんサービスの種類によります。

そんな中異業種交流会で件の営業マンと再会しました。どうやら営業会社を辞め、Webサービスの事業を始めたとのこと。元々Web制作会社に外注していたのだけれど、そろそろ内製化したくなった頃とのことでした。

「エンジニアを雇用したり常駐してもらったりするとしたらお金どれくらいかかるもんなのか」と言う相談を受けました。

「僕はWeb畑ではありませんのでその領域の相場がわからない、通信屋で試験とかしてる」って話は既にしていました。その営業マンとしても世間話くらいのつもりで、単に「いろんな人に聞いて相場感つかむか」くらいのつもりだったのだと思います。

決意

通信屋の仕事内容自体は面白かったです。でも

  • 実質的減給のいざこざ
  • リーマンショックの前になすすべもなかった経験
  • もっともっと仕事の中核に行きたいという思い
  • 会社にぶら下がらないでも生きられるようになりたいという思い

※ なお、会社にぶら下がらない力をつけたい=将来フリーランスになりたい、ではないです。選択肢としては当時あるにはあったけど。

こんな感じの不信感とか焦りとかそういったものがないまぜになって、で、こんなメールを送りました。

メール文面

で、返事をもらいました。

  • そもそも採用自体するかどうか
  • 求める人というのをどう設定するか

など検討して連絡するとのことでした。

そして採用へ

しばらく音沙汰なかったのだけど、返事来たんですよ、2か月後。後から知ったのだけど、どういう体制にするかとか考えてたみたいです。もう一人リクルートして2人体制の準備をしていたようです。

で、いったん諸条件話そうということで、会ってお話

  • phpとかは入ってから勉強でok
  • 年収は約50万アップ
  • そこからボーナスあるときはある

こんな感じで話が決まりました。ええの?ってくらい好条件でした。ええの?ってくらいサクサク決まりました。

これも後から知ったことですが、通信屋ってことでWebとかのサーバーにも詳しい、と思われてたみたいです。だから条件良かったのかもです。僕もWebのことよく知らないマンだったからそこあまりちゃんと詰められてなかったのだと思います。

入社してからのこと

必死こいてのキャッチアップ

ここからが大変でしたよ。本当に、本当に大変でした。前述のとおり僕はWeb屋のインフラができるわけではないので、php開発で価値出してくしかない。

でもphp全くわからんし、一緒に入った同僚はWeb開発5年の中堅でサクサク開発してくし、独自フレームワークなおかげで情報もねえし。必死で食らいつきましたよ。同僚にすごい聞きました。質問山ほどしました。そのまま仕事巻き取られてしまったことも多々ありました。

謎の蕁麻疹に苦しむこともありました。できなさ過ぎてストレスだったんでしょうね。

それでも、ボスと同僚と僕の3人しかいませんし、良くも悪くも無茶はさせてもらえました。会社にノウハウもないのにAndroidアプリ任せてもらったり、独自フレームワーク応用してサテライトサイトのCMS作ったり。

自分で新規サービス作った話

Webサービスもひとつ作らせてもらえました。まあ、収益はカップ麺くらいで、アーキも酷かったし、バグも多かったですが。でも、自分で企画して自分で設計して、集客もTwitterでアレコレして、プレスリリースも出して貰えて。

一応、キュレーションサービスってやつ作ったんですよ。ユーザーの記事閲覧動向を機械学習的なゴニョゴニョで分析して、合いそうな記事のリンクをユーザーページに見せる、的なサービスを。
※はいそこパクリっていわない!

自分なりの生存戦略

開発力じゃ同僚には逆立ちしても叶わないので、器用貧乏目指した感じでした。リスティング運用なんかもやりましたよ。ズブの素人が。

そして別事業へ

そんなこんなで2年ほどサービス運営やりました。評価的にはよく頑張ってくれてるがもう一歩って感じだったんだと思います。給料も微増はしたものの。仕事への執着心もっと持って!と言われたなぁw

そのうちサービス運営だけでは事業も立ちいかなくなり、出資者の介入も激しくなってきました。うん、赤字なんです。Webサービスって最初は。

このあと受託の事業をやろうって立ち上げメンバーでめっちゃ話あって決意することになります。この続きはまた別の機会に書くかもしれません。

Webサービスの運営を振り返って

身についたこと

事業に必要なことはなんでもやるぞ!という心構えが一番大きいですかね。あと、特化技術ない中でどう価値を出してくかって考えて、ある程度器用貧乏であることに対する開き直りはできるようになったと思います。

身につかなかったこと

QCD的なことは全くと言っていいほど身につかなかったです。あと良いコードを書く、みたいなことも正直できたとはいいがたいです。

おわりに

僕はいわゆる「SES企業」で今は楽しく働いているとか、何だかんだ「Web系(Webサービス運営企業)」が今採用市場では花形業種であるとか、いろいろと背景がある中で筆を執りました。

どこが素晴らしいとか、行くなら○○とか、それは本人が決めることですので僕はどうこう申し上げるつもりはありません。

今日の話は、「なんかそういう道を歩んだやつもいたらしい」という程度に参考にしていただけたら幸いです。

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