はじめに
炭山水です。こんにちは。エンジニアとしてのスタートラインがどうのこうのとか少し前に話題になってたのでそこら辺の話でもしようかなと思います。テスターからなの?とかヘルプデスクやらないとダメなの?とかそういうやつです。ちょっぴり「現場営業」って呼ばれる領域の話もします。
僕は仕事なんぞその人のキャラクターに沿ってレベルアップすればいいと思うので、「ヘルプデスクはエンジニアか?」「SESは現場営業できなきゃだめだ」とか「エンジニアなんだから技術に特化しろよ」とかその辺はどっちでもいいです。今日の話は「そんな感じで仕事してきた人がどこかにいた」くらいに思ってもらって参考にしてもらうくらいで読んでいただければ幸いです。
プロローグ~リーマンショック~
Twitterではちょいちょい呟いておりますが、僕、リーマンショック直撃組です。
リーマンショック/自宅待機/月給8万円の正社員/バイトだってない/会社から借金して生活/ゼロ円案件/自宅待機と言いつつ案件の面談にはいかなきゃいけない/だからそんなんじゃバイトもできねぇっつうの
あー思い出したくもない。
— 炭山水@システムエンジニア (@tan3_sugarless) 2018年11月3日
デフレが良かったとか、リーマンショック後むしろ生活楽だったとか言うことを別に笑いはしないし、その人にとってはそうだったんだろうけれど、あんま声高に言うと色んな方向から矢が飛んでくるのは仕方なくない?って程度にはヤバかったと思うぞ。
— 炭山水@システムエンジニア (@tan3_sugarless) 2018年11月5日
2008年入社組で、当時今でいうところのSESでお仕事してました。社会人1年目の冬あたりから雲行きが怪しくなりはじめ、2009年春にとうとう、「経歴:アセンブラ1年。開発環境以外触ったことありません。以上。」という市場価値もクソもない状態で現場からサヨナラとなりました。
今(2018年12月)でしたらこんなんでも迎えてくださる現場もあるでしょうが、中堅エンジニアでようやく案件があるかないかみたいなご時世に、3次請け4次請け中心の会社の、新人に毛が生えたようなエンジニアが、ボケっと口開けて待ってたところで仕事なんぞあるわけもありません。
晴れて「自宅待機」「給料は6割」のニュースでよくある正社員が爆誕しました。正直このころのことはあまり思い出したくもありません。仕事は口を開けて待ってても降ってこない、稼ぐ力ない奴から放り出されるという危機感を強烈に植え付けられた、とだけ言っておきます。
改めて現場入りして転職するまで
長いんで図にもしときますね。

電話番時代
数か月の自宅待機が明けて、最初にアサインされた仕事は電話番です。はい、マジで電話番です。電話とって取り次ぐだけです。昨今でもよく取りざたされてますが、電話バンバンなると手ぇ止まりますからね。僕という電話番のワンクッション欲しかったのかなと今となっては思います。
で、言っちゃなんですがつまんないわけですよ。つまんないから仕事もらいに行くことにしました。
電話番なんぞやってると自分が情報のハブになってくるから、どのお客様と自社の誰が良く話すとかどんな依頼があるとかだんだんわかってくるんですよ。図にもある通り情シス部門(社内SEっていう言い方が近いかなぁ)の電話番だったので、「スタートメニュー隠れちゃった」とか「パスワードロックしちゃった」とかそんなんよく来るんです。前者だったら僕でも解決できますし、後者みたいなのもなんかこう作業してる人の後ろでジーっと見てるとマニュアルとか取り出してるから、「そのマニュアルの内容、僕でもやっていいです?」とか聞けば教えてくれるんですよ。
なんかそうこうしてるうちに情シス部門に迎えていただいてました。
情シス部門時代
これも図に書きましたが、依頼受けてこなすなんてことやってると、お客様に当たる親会社の方とつながりができてきます。
西に端末払い出し依頼あれば初期セットアップを行い、東にネットつながらない端末あれば飛んで行ってとやってれば、「あー、子会社の炭山水さん?」みたいに覚えていただいて、気が付いたら親会社の基盤系?ネットワーク?の技術部門に招聘されてました。
機器設置とかの試験
詳しくは言えませんし若干フェイク入れますが、親会社、基盤系というかネットワークというかそれ系の機器導入でお金もらってる部門があったわけです。東京と千葉、とか茨城と福島、とかそういうレベルで遠い拠点同士の疎通とかもとってたんで、遠隔での開通試験(電話で現地に試験の指示したりとかそういうの)やってました。
たぶん様子見られてたんでしょうね。こんときはまじめに仕事してただけです。マニュアルもそろってましたし、呑み込みの早さだけが取り柄の僕にはやりやすい方だったかと。おかげさまで次の案件はすぐ見つかりました。
機器設置とかの”受け入れ”試験
この前は、あくまで親会社の技術部門のチームでやっていましたが、”受け入れ”試験からは親会社の営業部門付きでチーム入りしました。ロケーションも親会社のさらにお客様の方へスライドです。試験項目とかもこちらで作るようになりました。
営業部門ですし、営業の本丸は僕らの増員じゃなくて協業してる機器ベンダの導入台数増やすことなので、そのための動きもしてました。基本は常駐組のリーダー経由で報告とか挙げますが、営業と話してると、営業の質問から導入台数増につながる話ってなんとなくわかってくるので、先回りの情報収集を心がけるようにはしていました。
※ 自分で現場提案とかまではさすがにしてませんでしたこのときは。営業が動きやすいようにすることが僕の仕事だという認識でいました。
エピローグ~転職~
最後の案件を1年ほどやったころ、結局僕は転職します
- こんだけトントン拍子で進んでたにもかかわらず給料全く上がらなかったこと
- 厳密には賞与の微増があったけど、基準額から0.04か月分プラス…
- 年収270万とかそんなもんですよ…
- まあ、今ならさもありなんとは思うけど。
- ちょうどひょんなことからWebサービスの運営に入れていただけそうになっていたこと
- 「残業代支給するよ!」からの「だから基本給減らすね」コンボ食らって不信感MAXだったこと
こんな感じです。転職後いろいろあって受託とかB2Bの自社サービスとかやることになるのですが、今SESに舞い戻ってお役に立ててるのも、こんときが原点だったのかなって思うわけです。プログラミングはログ解析にメモ帳でVBS書いたくらいですが、立ち回り方とかいろいろ勉強になりました。
おわりに
まーさも自分の手柄のように書きましたが、僕はあくまでその場その場で一生懸命仕事することを大事にしてただけです。
売上に直結したのはやっぱり、「今月こんな感じの案件状況でしたよ」という僕の報告や、お客様からの僕の仕事の評判聞いて、タイミングよく僕の話を差し込んでくれた営業の方の働きなわけですし。
取り留めなくなってしまいましたが、腐らずやってればいいことあるかもね、くらいに聞いて欲しかっただけかもです。
ご精読、ありがとうございました。
